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はたらくNavi インタビュー  自ら変化をつくりだせ! 貧欲に学んで やる気を伸ばす人を応援!

ピーター.F.ドラッカー教授の名前をご存知の方は多いと思います。2005年に永眠されるまで、大学教授として教鞭をとる傍ら、経営学者・社会思想化として多数の著作を著し、マネジメントの父」とも呼ばれたドラッカー教授。著作の多くは日本でも紹介され、現代のビジネスパーソンの高い支持を集めています。
今回は、ドラッカー教授の著作の翻訳を長年手がけ、ドラッカー教授との親交も厚い上田先生にドラッカー教授との出会いや思想、お仕事観などについてお話をうかがってきました。

上田 惇生(うえだ あつお)
1961年サウスジョージア大学経営学科留学、1964年慶応義塾大学経済学部卒業後、経団連事務局入局。同会長秘書(調査担当)、国際経済部次長、広報部長、(財)経済広報センター常務理事を経て、現在、ものつくり大学教授(マネジメント、社会論)。

「はじめて読むドラッカー」三部作、『(自己実現編)プロフェッショナルの条件』『(マネジメント編)チェンジ・リーダーの条件』『(社会編)イノベーターの条件』を編纂、世界10か国で刊行。『[エッセンシャル版]マネジメント―基本と原則』、「ドラッカー名言集」四部作、『仕事の哲学』「経営の哲学』『変革の哲学』『歴史の哲学』の編集、翻訳のほか、処女作『経済人の終わり』から最近著『ネクスト・ソサエティ―歴史が見たことのない未来がはじまる』に至るドラッカー著作のほとんどを翻訳、紹介。共著『研究開発の理論と手法』『情報化時代の産業予測』。ドラッカー思想について執筆、講演。ドラッカー自身からもっとも親しい友人、日本での分身といわれる。
P・F・ドラッカー(著),上田惇生 (翻訳) プロフェッショナルの原点 新刊

「わからないものは通さない」。真摯に仕事に向き合って、得られた信頼。

Q ドラッカー教授の著作の翻訳をすることになった経緯を教えて下さい。
A 最初に経団連に就職したので、経済の勉強をする必要があったんですね。それで「英語の経済の本を翻訳すると勉強になるから」と、先輩に誘われてチームで翻訳をしていたんです。そのチームで、10年目くらいにドラッカーの本を訳したのが最初ですね。
信頼関係が出来たのは、自分のモットーにあると思います。私は「わからないことは自分の前を絶対に通さない」ことにしているんです。ドラッカーの本は800ページもあるでしょう。その中でわからない部分がたくさんあるんですよ。それで「わからないものは通せない」と全部ドラッカーに聞くわけです。何でそんな細かいことまで、ということまで全部です。そのほとんどは自分が無知でわからないんです。でも、そのうち2割くらいはドラッカーの早とちりや説明不足があるんですね。そうすると、こんな細かい部分まで目を通してくれるのか、と言うことでドラッカーとの信頼関係が生まれたんですね。もう1つ気をつけていることは「お客様の存在を忘れない」ことです。一見、当たり前のことですが、翻訳者は誤訳とか意訳しすぎとか言われたくないので、他の翻訳者の意見がすごく気になるんですよ。そうすると、どうしてもわかりにくい文章になる。でも私は、最終的に買ってくれるお客さんがわかるかどうかが第一だと思います。自分が「わからない」ものは、商品ではないと思うんです。その姿勢を貫いていたら、ドラッカーが親交のあった(元ソニーの)盛田昭夫会長に「上田の翻訳はどうだ」と聞いた時に「お前の英語よりよっぽどわかりやすい」と答えてくれたらしいんです。そんなこともあって、ドラッカーの翻訳は私がほとんど手がけるようになりました。
Q 「わからないものを通さない」のは、どうしてですか?
A 就職したばかりの頃、有名な外交官に頼んだ原稿を読んで「ちょっと変だな」と思ったんですね。でも「偉い人が書いているんだから」とそのまま通しちゃったんです。そうしたら上司に「どういうことだ」と問い質されて。「おかしいと思ったんですが、偉い人の書いたものだから」と答えたら、こてんぱんに怒られました。「わからないと思うものは自分の前を通すな」と、その時きつく言われました。就職2ヶ月目でしたが、あんなに怒られたことは生涯で一度きりです。それ以来、自分の前はわからないものは通さないということにしています。作曲家のベルディも80歳の時に大曲を作曲して、「何でそんな高齢になって」と言われた時に「常にベストを尽くさなければいけない」と答えたそうですよ。その姿勢は大事だと思います。