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あこがれの社長インタビュー  自ら変化をつくりだせ! 貧欲に学んで やる気を伸ばす人を応援!

「好きなことを仕事にしたい!」「やりがいのある仕事をしたい!」と思いつつ、現実を考えてなかなか最初の一歩が踏み出せない人も多いのではないでしょうか。
今回は、「海外に行きたい」という幼少時の夢を、持ち前の積極性とポジティブさで実現。世界43カ国でのビジネス経験をお持ちの先輩、上野さんにお話をうかがってきました。

Vol.003

上野 周雄(うえの ちかお)
1949年生まれ。株式会社エイジア常勤監査役・ドラッカー学会理事。
1970年、日本電子工学院電子工学部研究科卒業後、赤井商事株式会社へ入社。 1971年に米国AKAI AMERICA, LTD.へ出向。以後、米国各地でオーディオ、ビデオ・テープレコーダーのサービス業務に携わり、1979年には、ニュージャージー支社サービスマネージャーに就任。
1982 年に足掛け10年間の米国生活を終え、帰国後は、赤井電機株式会社サービス部教育課で、アジア、中近東、アフリカ、ヨーロッパなど世界各地での教育指導を歴任。その後、電子楽器事業部のサービス部門立ち上げ、ビデオムービーやVCR、DVDの商品企画なども手がけ、自身が手がけた世界初のオート・チューニング機能付高画質VCRはヨーロッパでのビデオオブザイヤーに選ばれるなど各国で高評価を獲得。

コンピューターにも造詣が深く1979年にApple II(世界初のパソコン)を購入、BASICを独学で習得しスキルを生かして1995年には赤井電機のホームページ立ち上げ、オラクルとのネットワークコンピューター事業などにも関わる。
1999年赤井電機を退職し会社を設立するが、2004年株式会社エイジアに請われ自社の経営を退いて現職。同社の東証マザーズ上場に貢献。

「海外に行きたい」という夢に果敢に挑戦。世界43カ国を歴訪するビジネス人生を達成。

Q ご自身のキャリアを教えて下さい。
A もともと山梨の生まれで海を知らずに育ったのですが、小学校時代始めて水平線を見て「世界は広い」と思って。それ以来、ずっと海外に憧れを持っていて、子供心に「密航でもいいから、いつかは海外に出る」と思っていたくらいです。専門学校を卒業後、赤井電機に入社したのも「好きなことをして海外にいける会社」だったからです。
Q 好きなことも基準なのですか?
A B型のせいか、もともと好きなことしかしないタイプなんです。その代わり、興味を持ったことにはのめりこみます。海外に興味があったので、中学校の時は海外のペンフレンドと文通をしていました。ラジオやアマチュア無線などにも興味があったので、高校時代は短波放送で中国の情勢を聞いたりもしましたね。文化大革命の始まる少し前くらいの時期でした。ですから、ラジオやオーディオなど好きなものが扱えて、海外に行かせて貰える赤井電機は打ってつけだったんです。
もっとも思っていた以上に難関で、700人の応募で採用は24人。しかも自分が応募した時は学校推薦の応募は締め切っていた後だったんです。そこで「本当に入社したい人間が試験も受けられないのはおかしい」と人事にかけあって、受験しました。技術的な試験は問題なかったのですが、英語での面接試験は、当時はあまり得意ではありませんでした。それでも片言でもとりあえず全て答えたら、積極性が認められたのか合格しました。その翌年からアメリカに赴任することになりました。
Q その後は、どのようなキャリアを積まれたのですか?
A アメリカではサービス業務に携わりました。赤井電機はオーディオ・ビデオ機器などの輸出をしていたのですが、機械というものは必ず壊れるので現地で修理を担当する人材が必要なのです。10年近くアメリカにいて、最終的には現地従業員を使い、指導する立場のマネジャーになりました。
帰国後も、香港や中近東を皮切りに、アフリカ、ヨーロッパ、南米、オセアニアなど世界各地へ出張し、現地人技術者に対しての新技術や新製品の教育・指導などをしていました。その後、電子楽器事業の開始時期にサービスの仕組み作りをし、ビデオの商品企画をするなど仕事の内容も変わってきました。ビデオについては、商品は出来たものの広告費用が少ないということで、今度はプレスを呼んで発表会を企画したり、と結果的には企画からマーケティングまで一貫して面倒を見ました。自分で企画した商品をプレスに自分でプレゼンし、良い記事を書いて貰えれば、効果的な広告が、それ程金を掛けずに出来ますから。世界初のオート・チューニング機能付ビデオだったのですが、ヨーロッパで賞をいただいたりもしましたね。今までに訪れた国は43カ国になります。